大前研一メソッド 2018年12月14日

中露印では原発建設ラッシュも、日本メーカーは蚊帳の外



大前研一(BBT大学大学院 学長 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

政府や三菱重工業など日本の官民連合が、トルコの原子力発電所の建設計画を断念する方向で検討していることが12月6日、分かりました。トルコへの原発輸出だけでなく、日本の原子力産業が、研究開発を含めて苦戦しています。

世界の原子力産業およびその研究開発の現状について大前研一学長に聞きました。

※資料:トルコの原発建設断念へ。事業費倍増採算難しく(最終アクセス:2018/12/14)
http://www.sankeibiz.jp/business/news/181206/bsb1812062146005-n1.htm

使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクル政策は頓挫

日本がフランスと共同で進めている次世代原子炉開発について、フランス政府は2020年以降、計画を凍結する方針を日本側に伝えたことがわかった。

19年で研究を中断、20年以降は予算をつけないという。この次世代炉は、フランスに建設する予定だった高速炉実証炉「ASTRID(アストリッド)」で、原子力発電所から出る使用済み核燃料を減らすことに使える原子炉である。

日本は2016年12月に高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉を正式決定し、今後の原発の研究開発にはアストリッドのデータを活用する計画だった。日本はこの計画にすでに約200億円を投じている。

このニュースを伝えた下記の日経新聞には「日本の原子力政策にとって、大きな打撃となる」とあった。

※資料:日本協力の次世代炉、仏が凍結へ 原子力政策に打撃(最終アクセス:2018/12/14)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38286780Y8A121C1000000/

日本の原子力政策といっても、使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクル政策を、フランスにカネを出して都合よく便乗しているだけ。打撃も何もない。

実はフランスには実験炉「ラプソディー」、原型炉「フェニックス」、実証炉「スーパーフェニックス」があって、アストリッドは必要なかった。ただ、「日本がカネを出すというのなら、一緒にやってもいいよ」ということだった。だが、マクロン大統領が原発依存度を現在の70%強から50%まで引き下げる方針を決める方針を11月27日に明らかにした。使用済み核燃料を再利用する高速炉の実用化は緊急性がないと判断したとみられる。

アストリッドは、もんじゅとは違ってプルトニウムを生み出すことはなく、効率的にプルトニウムを消費できる技術を期待されていた。これにより、日本の使用済み核燃料はさらに行き場を失うことになる。

核燃料サイクルの構想は、原爆何千発分にも相当するプルトニウム47トンを日本が保有することに対し、世界から「日本はそのうち核兵器をつくるのではないか」という批判があるのをかわす目的もあった。ただ、その原子力政策がフランス依存というのも悲しい話だ。

最新鋭の第3世代原子炉「AP1000」は中国で商業運転開始

一方、中国では新型の原発の稼働ラッシュだ。9月から11月にかけて、加圧水型原子炉「AP1000」3基が商業運転を開始したという。AP1000は、事故で電源が失われても自動で停止できる「第3世代プラス」と呼ばれる原子炉だ。

米国の原子力関連企業、ウェスチングハウスが開発したもので、一時は同社を子会社にしていた東芝は、本来なら多大なライセンス料などが手に入っていたはずだ。ところが、ウェスチングハウスは経営破綻し、原子力事業は頓挫してしまった。

現在、建設中や計画中の原発基数は中国(建設中21基、計画中25基)、ロシア(建設中8基、計画中16基)、インド(建設中7基、計画中6基)が圧倒的に多い。これらの国がAP1000を採用したら、東芝は大きなビジネスチャンスを失ったことになり泣いても泣ききれないだろう。

※資料:世界の原子力発電所開発の動向 2018年版 日本原子力産業協会(最終アクセス:2018/12/14)
https://www.jaif.or.jp/about/publication/world2018

中国はAP1000を第3世代の原子炉として導入し、ゆくゆくは第3世代の原子炉を国産化する計画を国家核安全局(NNSA)が定めている。中国が高速鉄道を“国産化”し輸出産業に成長させた流れを想起させる。

かつて川崎重工が技術供与した新幹線車両を中国はぬけぬけと盗用し、いつの間にか北京-上海間で運行する「和諧(わかい)号」に化け、さらに「独自開発した」と主張して国際特許を出願して海外に輸出した。

AP1000も同じパターンになってしまうのだろうか。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学名誉教授。