マネジメントとビジネストレンドの知見を得るMBAメディア

タグから検索する

大前研一メソッド 2020/05/11

日米欧の金融緩和政策は経済回復に効くのか?



大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

コロナウイルスの感染拡大で経済への影響が深刻になる中、日米欧の中央銀行が無制限とも言える金融緩和政策に動いています。米国の金融緩和政策は以下のようです。

米連邦準備制度理事会(FRB)は2020年4月29日、米連邦公開市場委員会(FOMC)で、政策金利であるフェデラルファンドレート(FF)レートの誘導目標レンジを0.0~0.25%に据え置き、ゼロ金利政策を維持しました。また、米国債などを制限なく購入する量的緩和政策を維持することも決めました。さらに、トランプ米大統領は給与税の減免の検討も始めました。

トランプ米大統領は減税と利下げで景気が良くなると信じています。しかし、需要のないところで減税をしても、あぶく銭が市場を肥満体にするだけで、実需がそれほど伸びるわけではありません。むしろ、市場の随所にバブルが発生して、裸の王様だと気づいた瞬間に破裂するだけです。

BBT大学院・大前研一学長は、自身が提唱するボーダレス経済の第1原則と第2原則を根拠に、日米欧の金融緩和政策に疑問を投げかけます。ボーダレス経済の第1原則と第2原則は以下の通りです。

第1原則 金利を上げれば世界中から投資資金が流れ込む

ボーダレス経済では資金が国境をまたいで、より多くのリターンが望めるところに移動する。このところEUと日本が実質金利ゼロの状態だから、比較的金利が高い米国に向かっていた。しかし、今回はFRBがゼロ金利に向かう動きを見せたために、資金が市場と為替から逃げてしまった。

比較的リスクの少ない成熟国では、金利が高いほうが世界中からカネが集まってきて、市場も活況を呈する。私はこれを「ボーダレス経済の第1原則」と呼んでいる。

米国のクリントン政権期、傍らにいたFRBのグリーンスパン議長(当時)は「インフレが怖い」と言いながら、金利をどんどん上げていった。

20世紀の経済学では、金利を上げることはインフレを抑制して景気の過熱を防ぐ効果があるとされていた。しかし、金利を上げた結果、世界中から米国に資金が集まって株式市場は空前の活況を呈し、クリントン大統領は弾劾を払いのけた。つまり、ボーダレス経済の第1原則は当時から観察されていたわけで、老獪なグリーンスパンは金利を上げれば世界中から投資資金が流れ込むことがわかっていたのだろう。

第2原則 国境をまたいでカネは移動していく

資金供給の面でもボーダレス経済には特有の現象が見られる。国内よりも有利なリターンが得られる投資先があれば、国境をまたいでカネは移動していく。供給された資金は国内にとどまらない。これがボーダレス経済の第2原則である。

いくら市中に資金をばらまいてジャブジャブにしても、国内にニーズがなければニーズのあるところにカネは流れる。これは「キャリー」と言われる現象で、私はボーダレス経済の第2原則と呼んでいる。キャリー取引では、金利の低い通貨で調達(借り入れ)した資金を、外国為替市場で金利の高い他の通貨に交換し、その高金利で運用して金利差収入等を稼ぐ取引(運用手法)が行われる。「低欲望社会」の日本は、世界に比べてもなお一層資金需要が乏しい。リーマンショックのときには、アイスランドが低金利の日本円を相当借りていたことが判明した。

当時のアイスランドは建築ブームで、そこに金利の低い日本の資金が流れ込んでいたのだ。しかし、リーマンショックの経済危機でアイスランド通貨は下落。一方、円は買われて超円高になり、借金が膨らんで返済不能に陥った。東南アジアの国々も金利が安い円をどんどん借りたが、円高でやはり返済に苦労している。

知識も経験もなく、勘だけを頼りに大胆な政策を乱発するトランプ流では、暴れる市場を沈静化することはできない。冷静な判断と施策が要求されるコロナ禍とトランプ大統領は史上最悪の組み合わせである。

日米の無能な為政者に今さら「21世紀の経済を勉強しろ」と言うのは無理難題かもしれない。しかし、冷静な市民は新しい時代には新しい知識と道具が必要だと感じている。新型コロナウイルスによる危機感が人々の目を覚まさせる部分もあるだろう。それが安倍総裁の4選とトランプ再選を阻む結果になれば、せめてもの救いである。

※この記事は、『プレジデント』誌 2020年5月15日号を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。