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大前研一メソッド 2020/12/14

幻に終わったか?関西がカナダ級の経済圏になる日(後編)


大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

前編では、大阪維新の会は「大阪都構想」とは言いますが、その実態は単に「大阪市廃止して4つの特別区に分割」するプランに過ぎないことを明らかにしました。

「大阪市は、政令指定都市の看板が外されなくてよかった」とBBT大学院・大前研一学長は「大阪都構想」が廃案になったことを歓迎します。大阪市の場合、府の権限の約9割を委譲されています。仮に大阪市を廃止したら、これを手放さなければならないところでした。「大阪都構想」は大阪の成長に何ら資するところが見当たらない愚策だったのです。

後編では大前研一ならどうするかを解説します。大前研一は兵庫、大阪、京都、奈良、和歌山を一体とした関西広域連合、「関西道」の必要性を訴えます。

橋本徹氏が、関西道の概念を「府市の二重行政の解消」問題に矮小化

橋下徹氏が大阪維新の会を立ち上げるとき、私のところに「『維新』を使わせてほしい」と挨拶しにきたことがある。学生時代から私の本を読み込んでいたという橋下氏は、私が提言してきた道州制や平成維新の活動に対する理解も深く、最初に会ったときから「道州制について話を聞きたい」と切り出してきた。橋下氏が提唱してきた大阪都構想は、もともとは道州制論議から始まったのである。

当時の道州制の議論の中心にあったのは「関西道」という概念だった。兵庫、大阪、京都、奈良、和歌山を一体とした関西広域連合、「関西道」の必要性を私は30年前から説いてきた。GDPの規模に直せば関西圏の経済力はカナダよりも大きく、G7のメンバーになってもおかしくないくらいである。

歴史的な観光資源に恵まれ、神戸や京都には世界的企業も多い。アカデミズムや文化の発信地としては京都、大阪、奈良は申し分ない。それら三県にまたがる京阪奈丘陵には学研都市がある。

大阪北区の梅田、北新地界隈はニューヨークやシカゴ、ロンドンに匹敵する世界有数の商業集積地で、芦屋や夙川などに連なる富裕層の購買力はアジアトップクラスだ。それらの要衝が縦断して4〜5時間、兵庫から京都の端まで横断しても3〜4時間というコンパクトなエリアにバランス良く配置されている。

そのような魅力とポテンシャル溢れる関西を一国のように運営すれば東京に対するジェラシーもなくなるし、世界中から繁栄を呼び込める。これはもともと「一つ一つではなく、関西は一つ」と語っていた松下幸之助氏の発想で、当時は「関西府県連合」と呼んでいた。(ちなみに、関西経済同友会は「『関西州』を目指せ」としている。下記の【資料】参照)

【資料】緊急アピール 「関西広域連合」を進化させ、「関西州」を目指せ
松下氏が考案した「関西府県連合」を日本全体に広げて考えようというのが、私が平成維新で提言した道州制の議論である。

関西に道州制を持ち込んで広域行政区域とし、国から三権(行政、立法、司法)を分捕ってくる——。私が描いていた関西道構想を橋下氏もよく理解していたはずだ。

しかし都構想の先にあるそうしたビジョンが語られることはなく、1回目の住民投票で橋下氏が争点化したのは、今回と同様に「府市の二重行政の解消」だった。5年前からすでに、国家の仕組みを変えるという大構想の話から行政のコストダウンという小さな話になってしまっていたのだ。

大阪の成長に何ら資するところのない「大阪都構想」の廃案を歓迎する

大阪市民から2度もNOを突きつけられて再び廃案となった「大阪都構想」が蘇ることはもうないだろう。道州制とは縁もゆかりもない中途半端な統治機構ができても、大阪や関西の成長に資することはない。「関西は一つ」という原点に戻る必要がある。

むしろ政令指定都市の看板が外されなくてよかった。政令市は都道府県の権限の多くを委譲される。大阪市の場合、府の権限の約9割を委譲されているのだ。大阪市を廃止したら、これを手放さなければならない。今は都道府県のあらゆる権限を法的に政令市に取り込めるようになっている。

大阪市を廃止するのではなく、堺市も含めた形で政令市の強みを生かすような方向で「都構想」の議論を進めていれば、政令指定都市を抱える全国の自治体からも拍手喝采で、住民投票の結果も違ったものになったかもしれない。

※この記事は、『プレジデント』誌 2020年12月18日 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。